友人のブログで考えること:消化リレー放火リレー

憂鬱の機械 |消化リレー関連まとめ(私的備忘録)
(これ、トラックバックとんでんのかな?)


当初、チベット問題はあまりに騒ぎ立っていたものだから、放置してしまっていた。うちにはテレビもなく新入社員なのもあってバタバタしていたので、ほぼノーチェック状態のまま、僕の日常は慎ましやかに進んでいます。


そんな中、友人が備忘録代わりに書いていたチラシの裏紙を見つけて読みふけっていたわけです。長野県の消化リレー。


物事における「距離感」って、何事においても重要な意味を持っていて、例えば、テレビがない僕にとっての重要性の高いメディアは、友人、知人ののブログだったりする。「なにで測るんだよ、その重要性」って話は、アクセスする頻度か、触れている時間か。能動性?


そんで、半径1クリック圏内から基本的には出ないわけですが、友人の顔は知っている。


うむ。


でですね、距離感、それがね、結構大切だと思うんですよ。距離があるってことは、位置があります。向いている方向があります。で、長野県の消化リレー。


すごい正直に言えば、よく分からないわけですね。中国やらダライラマやら。いや、分からないわけではないんですけど、判断が出来ない。この問題に対して、距離感がうまく掴めないんですよ。掴んでるフリしてヤンヤヤンヤ言うのもいいんですけど、僕の立ち位置からは
なんとも。


普遍的な良さや悪さ、判断基準、当たり前だと思っていること、を、ある程度、人はみんなで持たなくてはいけないんだけど、
それに対面するときの姿勢が大切なのかなと思いました。


君は何を守るべきなのか。というか、どの方向に背を向けるのか。
というか、そんなものはないのだけど、それを分かった上で。